村山龍平

村山龍平(むらやま りょうへい、嘉永3年4月3日(1850年5月14日) - 昭和8年(1933年)11月24日)は朝日新聞の経営者(社主)、政治家。

1850年(嘉永3年)、伊勢国田丸(現・三重県度会郡玉城町)生まれ。実家は紀州藩旧田丸領に仕えた旧士族。明治維新後、一家を挙げて大阪に移住、父とともに西洋雑貨商「田丸屋」(後に「玉泉舎」)を営む。1879年(明治12年)に朝日新聞の創刊に参加。1881年木村平八・木村騰父子から同紙の所有権を獲得、上野理一と共同経営にあたる(1908年以後は1年おきに社長)。

1891年に衆議院議員に当選。1918年に白虹事件で暴行を受ける。1930年に勅選貴族院議員となった。1933年に84歳で死去。勲一等瑞宝章、従四位を追贈された。娘婿は村山長挙(後の朝日新聞社長)。

第1回全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)では開会式の始球式を務めた。

 茶の湯の会
龍平は、美術蒐集家、数寄者としても有名で号を玄庵、香雪と称した。晩年は事業の傍ら茶事を再々行い、明治35年大阪の実業界を中心に茶の湯の会を起こした。毎年命日(11月24日)を期して追福茶会が催されている。


 

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