寺田学

寺田 学

寺田 学(てらた まなぶ、1976年9月20日 - )は、日本の政治家。内閣総理大臣補佐官(国家戦略・行政刷新担当)兼衆議院議員(3期)。秋田県横手市出身。みんなの党参議院議員(2010年 - )で元秋田県知事(1997年4月 - 2009年4月)の寺田典城は父。母方の祖父は秋田県議会議員の寺田栄四郎。2004年から民主党秋田県連の代表を務めていたが、2009年、同職を秋田選出参議院議員・松浦大悟(2007年初当選、2008年入党)に譲り、自身は幹事長となった。


 経歴
秋田県立横手高等学校、中央大学経済学部卒業後、三菱商事に勤務。

2003年8月、民主党秋田県連による衆議院選挙候補者の公募に応じ、公認の内定を得る。しかし、支持団体の連合秋田から理解が得られないなど県連内で混乱が生じたため、寺田は「県連との信頼関係が築けない」として合格を辞退する。その後、この混乱は県連の三役が更迭されることで収まり、寺田は第43回衆議院議員総選挙で小選挙区秋田第1区から立候補し、初当選する。次期総選挙で杉村太蔵が当選するまで、国会議員の中で最年少であった。第44回衆議院議員総選挙で再選を果たした。

2005年の民主党代表選挙で、菅直人の推薦人となり選対本部事務局長を務めた。

NHK衛星放送の、いわゆる‘受動受信’の実態について、NHKに対して強硬姿勢を取り、2009年3月のNHK予算審議においては「詐欺」という言葉までを用いて、非常に強い調子で糾弾した。

2009年8月、第45回衆議院議員総選挙で民主党は大勝して政権交代が起き、寺田自身も三選を果たす。11月に行われた行政刷新会議の「事業仕分け」第1弾で、第1ワーキンググループ(国土交通省、総務省関連)の主査(リーダー)を務めた。都市政策に関する議論で飛び出した「地方にとって大きなお世話だと思う」との寺田の発言の場面は、蓮舫の発言とともにテレビで何度も放映された。

もう一人の秋田選出参議院議員で、2004年に無所属(民主党・社民党推薦)で立候補し初当選した鈴木陽悦参議院議員の民主党入党希望に関し、2009年総選挙での県内民主党推薦候補への鈴木の不協力(寺田との不和が一因であることは明らか)から難色を示し、これに対して鈴木がブログで「疑問だらけ」と寺田を批判。寺田もブログ(manabu.jp「日々徒然日記」)で対抗し、このことは報道も相まって県内で話題を呼んだ。さらに、鈴木が入党した後も、2010年の参議院改選で鈴木がそのまま候補とすることをよしとせず、公募で候補を募集した。鈴木を含む8人が応募し、その中から、2010年1月、鈴木と大仙市出身の医師・工藤進英(昭和大学医学部教授で大腸癌治療の権威)の2名に絞り込んだ。寺田が工藤を推していたことは明白である。しかし、民主党執行部の意向(実質的に小沢一郎幹事長の意向)により結局のところ鈴木が候補予定者となり、寺田らの思惑は通らなかった。鈴木は秋田テレビアナウンサーという知名度を生かして初当選していたが、二選を目指す鈴木への対抗馬として、自民党は元プロ野球選手で打点王のタイトル経験者の石井浩郎の擁立を決定。その後、工藤をみんなの党が推す動きもあったが、2010年6月上旬に工藤自身が出馬を見送る。なお、2010年7月の参議院議員選挙は、鈴木が石井に敗れ、父・寺田典城がみんなの党から比例代表で立候補して当選という結末になっている。

2010年5月21日、公益法人などが対象の事業仕分け第2弾後半の作業で、宝くじ関連の公益法人3団体が行っている4事業について、「廃止」と判定した。そのうえで、「総務相は、無駄な広報宣伝事業などの問題が解決するまでは、宝くじ販売を認めるべきではない」と発言し取りまとめた。この発言に対して単なるパフォーマンス、大人気ない、あるいは地方の自由だろ!」「宝くじを買う楽しみを奪うな!」「職を失う!」などの批判が上がった。この宝くじ発売中止取りまとめに対して枝野幸男行政刷新大臣、原口一博総務大臣が発売をやめる考えはないと発表したが、寺田は「問題点は明確なので直ちに改革案を出して(もらって)、今までどおり宝くじが皆さんの楽しみのために使われる形にもって行きたい」とトーンダウンし、事業仕分けに何ら拘束力がないことを明らかにした。

2010年6月、鳩山由紀夫の退陣を受けて菅直人が党代表・首相となると、寺田は4人の首相補佐官の一人(国家戦略担当・行政刷新担当)、および、党幹事長(枝野幸男)・幹事長代理(細野豪志)を補佐する14人の副幹事長の一人に起用される。なお、松浦大悟も同時に副幹事長となった。

 活動
2005年10月19日、中華全国婦人連合会との会談で、小泉純一郎総理大臣の靖国神社参拝問題を『日本の男性は保守的なところがまだあり、そういう意味で小泉総理も一員ではないか』と述べ、近隣諸国、相手への配慮ができない象徴ではないかと見解を示した。
2006年5月23日、国立国会図書館法の一部を改正する法律案を提出
 
エピソード
週刊新潮2006年11月16日号で、議員宿舎で同棲中と報じられる。
自身の公式サイトのプロフィールで、「尊敬する人物」を当初「吉田茂」としていたが、麻生太郎政権の頃から「後藤田正晴」1名となっている(麻生は吉田の孫)。
2009年8月の総選挙の選挙運動では、政見放送で「有権者には、まず、党を選んでほしい。その次に、その党の候補者として私がふさわしいかを見てほしい」との旨を発言した。また、選挙カーによる名前の連呼を一切行わず、選挙区内のほぼ全域で小規模集会を行うという独自の手法を取った。選挙ポスターには集会のスケジュールを詳しく載せ、その代わり顔写真の面積を小さくした。東北地区の民主党候補の顔写真を一覧にしたパンフレットでは、他の候補者が笑顔で写っている中で、寺田1名だけが真剣な表情で写っていた。

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