読売新聞

読売新聞

読売新聞(よみうりしんぶん、新聞の題字及び漢字制限前の表記は讀賣新聞、英語:Yomiuri Shimbun)は、株式会社読売新聞東京本社、株式会社読売新聞大阪本社及び株式会社読売新聞西部本社が発行する新聞である。発行部数は1000万部を超え、世界最多である(かつてはソ連共産党機関紙・プラウダ)。

1874年11月2日 合名会社「日就社」から「讀賣新聞」創刊。
1917年12月1日 商号を「日就社」から「読売新聞社」に改称。
1924年2月25日 経営難から、前警視庁警務部長、後の衆議院議員、正力松太郎が買収。
1925年11月15日 「よみうりラジオ版」新設(テレビ・ラジオ欄=番組表の先駆け)。
1931年11月25日 夕刊の発行を開始。
1934年12月26日 大日本東京野球倶楽部(現:読売ジャイアンツ)創設。部数拡大に大きく貢献する。
1942年8月5日 報知新聞社を合併。「讀賣報知」に改題。
1945年
5月25日 東京大空襲で銀座社屋が炎上、築地本願寺に仮事務所を設置。
5月27日 読売報知・朝日新聞・毎日新聞・日本産業経済・東京新聞の5社共同による「共同新聞」を発行。
7月27日に論評なし公表されたポツダム宣言を、翌7月28日「笑止、対日降伏條件」と報道し、同日、鈴木貫太郎首相の記者会見上の「黙殺」発言を7月29日に報道。
正力松太郎社長がA級戦犯容疑で逮捕。巣鴨拘置所に収容される(1947年不起訴で釈放後公職追放)。
馬場恒吾、社長就任。
1946年
5月1日 題号「讀賣新聞」に復帰。
7月1日 現在の印南渓龍が書いた横書きの隷書体の物を使用している(それ以前は縦書きの楷書体であった)。
11月12日 「漢字を廃止せよ」との社説を掲載し漢字廃止(国語国字問題参照)を推進。
1947年12月6日 読者投票による「日本十大ニュース」の募集を開始(海外版は1989年から開始)。
1949年3月1日 朝刊コラム「編集手帖」スタート(1953年8月から「編集手帳」に改題。「編集手帖」以前のコラムのタイトルは「明窓」であった)。
1950年6月1日 読売新聞社が株式会社に改組。
1951年 正力松太郎の公職追放解除。
1952年11月25日 大阪市で「大阪讀賣新聞」創刊、西日本に進出。
1955年4月1日 英字新聞「ザ・デイリー読売」創刊。
1959年5月1日 札幌市に北海道支社開設。現地印刷開始。
1961年5月25日 富山県高岡市に北陸支社開設。現地印刷開始。
1962年4月1日 読売日本交響楽団設立。
1964年9月23日 北九州市に「読売新聞西部本社」設立。現地印刷開始。
1966年6月29日 この日から7月2日まで行われたビートルズ日本公演を主催。
1975年3月25日 名古屋市で「中部讀賣新聞」創刊。
1977年 発行部数で朝日新聞を抜き、日本一となる。またソ連(現:ロシア)のプラウダなどを抜いて世界一の発行部数となる。
1978年 ギネスブック(1978年版)に発行部数世界一であると記載される。
1979年 渡邉恒雄(現読売新聞グループ本社会長)が論説委員長に就任。
1980年 空白の一日事件や読売ジャイアンツ長嶋茂雄監督解任に対する不買運動に遭う。
1980年 宝塚市学童誘拐事件において、被害者の安全を考慮せずに報道協定を破りフライング報道を行う。兵庫県警記者クラブは3ヶ月間除名する処分に留めた。
1988年6月1日 中部読売新聞社が読売本体と合併し読売新聞中部本社となり、題号から「中部」が外れる。
1989年12月1日 被疑者の呼び捨てをやめ、「容疑者」などの呼称を付ける。
1994年11月3日 当時の社長である渡邉恒雄の下で、主要なマスコミで初めて「憲法改正試案」を発表して、憲法の改正を主張。憲法について再考する一つのきっかけになった。
1995年6月16日 YOMIURI ONLINEを開設。
1999年2月1日 経営難の中央公論社を買収し、中央公論新社を設立。
2000年12月1日 紙面の文字拡大。「第二次文字拡大ブーム」に火を付ける。
2002年
1月1日 読売新聞の題字下に記載されていた、「THE YOMIURI SHINBUN」のローマ字が廃止。
7月1日 グループ再編。株式会社読売新聞社を株式会社読売新聞グループ本社(グループ持株会社)と株式会社読売新聞東京本社に、株式会社よみうりを株式会社読売新聞西部本社と株式会社読売巨人軍に会社分割。中部本社はよみうりから読売新聞東京本社に分割承継(中部支社に格下げ)。大阪本社(株式会社読売新聞大阪本社)も株式交換により読売新聞グループ本社の完全子会社に移行。
10月17日 新聞社で唯一、日本オリンピック委員会のオフィシャルパートナーになる。
2004年
1月1日 読売新聞西部本社が北九州市から福岡市に移転。
12月1日 朝刊連載の4コマ漫画『コボちゃん』が、日本の全国紙の4コマ漫画では初めてカラー化。
2007年10月1日 読売新聞グループ本社・日本経済新聞社・朝日新聞社の3社がインターネット分野による共同事業及び販売事業における業務提携、システム障害と災害時における新聞発行の相互援助協定を締結することを発表。
2008年
3月31日 紙面を大幅刷新。紙面の文字を拡大、14段組みから12段組みの「メガ文字」になる。1面下段のコラム「編集手帳」が横1列から縦2段に再編され、題字上に「THE YOMIURI SHIMBUN」のローマ字が復活する。夕刊題字のスクリーントーンが廃止。
8月31日 大阪本社の「泉」のコーナーが終了。新コーナーへ引き継ぐ。
2009年
1月10日 創刊135周年記念企画として連日6回に渡り300の候補地を掲載し、4月中旬に「平成百景」を定めた。
2月10日 1874年の創刊から現在に至るまでの紙面記事がインターネットで検索できる、日本初のオンラインデータベース「ヨミダス歴史館」のサービスが開始。
2月27日 ウォールストリート・ジャーナルと編集、印刷、販売に関して提携することが発表され、2009年3月2日からアジア版の主な記事の見出しが日本語で夕刊2面に掲載され始めた。
3月16日 創刊135周年記念企画としてコラム「ポケモンといっしょにおぼえよう! ことわざ大百科」を設け、子供の頃から新聞に慣れ親しむことわざ解説の連載開始。この日以降一面には、「探せ!ポケモン どこかのページにことわざ大百科」のタイトルと共に、ピカチュウのイラストが掲載されている。
6月1日 島根県石見地方の発行が西部本社から大阪本社に変更し、島根県内では全県で大阪本社版の発売とした。
2010年
3月31日 東京本社(大手町)社屋建て替えを発表。地上30階・地下3階・延べ床面積約7万9800平方メートル・高さ180メートルの計画で、2014年に完成予定。現在の大手町社屋は2010年中に解体される予定で、その間の仮社屋は東京都中央区銀座の日産自動車旧本社ビルを使用する。(同10月1日に移転完了)
 

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