村山富市

村山 富市(むらやま とみいち)

 

 

1924(大正13)年~

 

1924年3月3日大分県生まれの好々爺のような風貌とトレードマークの長い眉毛で、「トンちゃん」と呼ばれて親しまれた政治家。

明治大学卒業後、労働組合書記を経て日本社会党に入党、大分市議、同県議を経て、1947(昭和22)年衆議院議員(当選8回)。

党内では右派に属し、1991(平成3)年社会党の国対委員長に就任、1993(平成5)年に山花貞夫(やまはなさだお)の後を受けて委員長に選ばれた。

1994(平成6)年、羽田孜(はたつとむ)内閣の辞職ののち、同年6月30日、自民党、社会党、新党さきがけの連立により首相候補となり、海部俊樹(かいふとしき)候補を決戦投票で破り、第81代首相に就任した(1996年1月11日まで在任)。

社会党の首相は、1947(昭和22)年の片山哲以来のことであった。

「人にやさしい政治」を掲げたが、自民、社会の連立への疑問などから、内閣支持率は終始低迷した。

だが、戦後50年首相談話を発表して、いわゆる戦後問題似一定の決着を付け、また、被爆者援護法の制定や水俣病問題の解決などの政策で弱者救済に力を入れ、社会党カラーだす等、一定の成果を出した。

他方、1994(平成6)年7月の臨時国会で、自衛隊違憲から合憲への政策転換を表明、日米安保堅持も明確にしたことから、社会党らしさを喪失させたことで、社会党は急速に支持を失い、党名も社会民主党に変更を余儀なくされる一因を作ることにもなった。

そして、1955年1月に起きた阪神・淡路(あわじ)大震災では初動態勢の遅れから、政府の危機管理が問われた。また、同年9月に沖縄県で米兵による小学生女児暴行事件の発生を契機に、県知事の米軍用地強制使用手続きの代理署名拒否に発展したが、最終的に首相自ら署名する等、連立政権の限界を露呈、世論の反発を招いたことから政権維持の意欲を急速に失い、1996年1月、予算案審議を前に突然、総辞職、自民党総裁の橋本龍太郎に政権を託した。

2000年に政界を引退。現在、社会民主党特別代表。

なお、社会民主主義者がいきなり総理大臣になった村山首相の出現は、日米安保条約を否定し、自衛隊を憲法違反としていた野党第1党が、急転直下、日米安保条約肯定、自衛隊合憲に路線を転換したことから、「日本の政治を変えた」といわれている。

2003年8月公開の映画「八月のかりゆし」に沖縄が舞台の映画で、物語のカギを握る重要な役(“亡霊”風の役)どころで出演(松田龍平と共演)、話題となった。出演引き受けた理由について村山は「ボクが首相の時に、沖縄で米兵の少女暴行事件があった。沖縄問題には責任も感じているんだ」と語っている。

 

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