みやざわ きいち
宮澤喜一
生年月日 | 大正8年10月8日(78歳) |
本籍地 | 広島県福山市 |
衆議院議員 | 広島七区 当選11回(参議院議員当選2回) |
- 略歴
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昭和16年 12月 東京帝国大学法学部政治学科卒業 昭和17年 1月 大蔵省へ奉職 昭和24年 3月 大蔵大臣秘書官(通産大臣秘書官兼任期間あり) 昭和26年 8月 サンフランシスコ講和会議に全権随員として出席
- 政歴
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昭和28年 4月 参議院議員 昭和28年 池田・ロバートソン会談に同行 昭和37年 7月 国務大臣経済企画庁長官(池田内閣) 昭和38年 7月 国務大臣経済企画庁長官(第2次池田内閣第3次改造) 12月 国務大臣経済企画庁長官(第3次池田内閣) 昭和41年 12月 国務大臣経済企画庁長官(佐藤内閣) 昭和42年 1月 衆議院議員 2月 国務大臣経済企画庁長官(第2次佐藤内閣) 昭和45年 1月 通商産業大臣(佐藤内閣) 昭和49年 12月 外務大臣(三木内閣) 昭和52年 11月 国務大臣経済企画庁長官(福田内閣) 昭和55年 7月 国務大臣内閣官房長官(鈴木内閣) 昭和59年 10月 自由民主党総務会長(中曽根内閣) 昭和61年 7月 大蔵大臣(中曽根内閣) 昭和62年 11月 副総理兼大蔵大臣(竹下内閣) 平成 3年 11月 内閣総理大臣 平成10年 7月 大蔵大臣(小渕内閣)
- プロフィール
- 東大法学部卒業後、大蔵省入省。池田勇人蔵相、通産省秘書官などを務め、昭和28年より参議院議員(2期)、この間戦後の主要な日米会談に参加。昭和42年より衆議院議員(当選11回)。経済企画庁長官、通産大臣、外務大臣、大蔵大臣、副総理などを歴任し、平成3年11月から5年7月まで内閣総理大臣。卓越した語学力とともに、政策通として知られる。
今回、総理経験者としては異例だが、経済再生のために、小渕総理に三顧の礼をもって大蔵大臣に迎えられた。