岸 信介
1896(明治29)年11月13日生
1987(昭和62)年8月7日没
山口県熊毛郡田布施村(現、田布施町)出身
政治家
官僚
ニックネームは「昭和の妖怪」
「満州の三スケ」「満州三角同盟」の一人
佐藤秀助の第五子
二男
岸家の養子となる
兄、佐藤市郎
弟、佐藤榮作
安倍晋太郎の義父
旧制第一高等学校出身(一浪)
東京帝國大學法学部卒
農商務省に入省
1941(昭和16)年10月18日~1943(昭和18)年10月8日 商工大臣(東條英機内閣)
1942(昭和17)年 衆議院議員に当選
1943(昭和18)年10月8日~1944(昭和19)年7月22日 国務大臣(東條英機内閣)
戦後、A級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに収容される
1948(昭和23)年 釈放
自由党に入党
衆議院議員
1950(昭和25)年7月14日 暴漢に刺され重傷を負う
1954(昭和29)年 民主党に参加 幹事長
1956(昭和31)年4月5日 自由民主党総裁公選(第2回臨時党大会)で鳩山一郎に敗れる(得票4 鳩山394)
12月14日 自由民主党総裁公選(第3回臨時党大会)で石橋湛山に敗れる(得票251 石橋258)
1956(昭和31)年12月23日~1957(昭和32)年2月25日 外務大臣(石橋湛山内閣)
1957(昭和32)年1月31日~2月25日 首相臨時代行
1957(昭和32)年3月21日 第4回党大会・総裁公選で第3代自由民主党総裁に選出される
1957(昭和32)年2月25日~1958(昭和33)年6月12日 内閣総理大臣
~1957(昭和32)年7月10日 兼外務大臣
1957(昭和32)年4月24日 靖國神社参拝
1958(昭和33)年6月12日~1960(昭和35)年7月19日 内閣総理大臣
1958(昭和33)年10月21日 靖國神社参拝
1959(昭和34)年1月24日 第6回党大会・総裁公選で自由民主党総裁に再選される
1960(昭和35)年1月19日 アメリカで日米安全保障条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)に調印
5月19日 新安保条約承認を衆議院本会議で強行採決
6月16日 アイゼンハワー米大統領訪日中止
6月19日 新安保条約成立
1979(昭和54)年 政界を引退
引退後も発言力を維持
1967(昭和42)年4月29日 勲一等旭日桐花大綬章
1987(昭和62)年8月7日 死去 享年90
著作 「青年に望む」「日本の進路と安保条約」「二十世紀のリーダーたち」「我が青春」「岸信介の回想」