公明党
公明党(こうめいとう、略称:公明、NEW KOMEITO、"NK"またはNew Clean Government Party、"NCGP")は、日本の政党。
日蓮正宗系の新宗教団体である「創価学会」を主な支持母体としている。
第1期:1964年11月17日 - 1994年12月5日
1961年、衆議院進出を目指し、「公明政治連盟」が結成される。英文名称は"THE KOMEITO"。: 1964年、「公明政治連盟」を改組し、宗教政党「公明党」を創立。創立者は池田大作創価学会会長(現名誉会長)。
分党期:1994年12月5日 - 1998年11月7日
1994年、12月5日 「公明党」を解散し、「公明新党」(衆議院議員と1995年改選期の参議院議員)と「公明」(1998年改選期の参議院議員と地方議員)に分党。同年12月10日、公明新党は新に結党された新進党へ合流。「公明」はそのまま存続。
第2期:1998年11月7日 -
1998年、新進党の解散に伴い、旧公明党系の「新党平和」・「黎明クラブ」・「公明」が合流し、「公明党」を再結成。英字名称はNEW KOMEITOとなった。
本項では分党期の公明新党(こうめいしんとう)、公明(こうめい)、新党平和(しんとうへいわ)、黎明クラブ(れいめいクラブ)についても述べる。
概要
創価学会第2代会長の戸田城聖が創価学会の政界進出を目指し、1955年の統一地方選挙や、翌1956年の第4回参議院議員通常選挙で創価学会信者を当選させた。1961年には政党「公明政治連盟」を設立。翌1962年の第6回参議院議員通常選挙で民主社会党を追い越して第3党となった。戸田の後を継いだ創価学会第3代会長(当時)の池田大作が、1964年に「公明政治連盟」を改組して「公明党」を設立。1963年の統一地方選挙で1000人を越える地方議員を誕生させるなど急成長し、1967年の第31回衆議院議員総選挙で25議席を獲得しついに衆議院に進出した。結成当初は「王仏冥合」・「仏法民主主義」を基本理念とすることを謳うなど、宗教的な目的を前面に打ち出していた。
1969年から1970年にかけて、創価学会と公明党が自らを批判する書籍の出版・流通を阻止するために働きかけていた(「言論出版妨害事件」)ことが公になり、「言論の自由」を侵すものだとして社会的批判を受けた。この問題の中で、創価学会と公明党との密接な関係が憲法に規定された「政教分離原則」に反するという批判も強くなり国会でも議論されるようになった。国会での追及が高まる中、池田が公明党と創価学会を制度的に明確に分離することを明言し、「日蓮正宗の国教化」と誤解されやすい「国立戒壇」という表現は将来ともに使わないこと、「国立戒壇」を国会で議決することを目標にしないことなどを約束し、党の綱領から「王仏冥合」、「仏法民主主義」などの用語を削減するなど、宗教色を控える方針転換を図った。
これ以降、自民党と日本社会党の2大政党がしのぎを削っていた「55年体制」の中にあって、保守でも革新でもない「中道路線」の立場で、福祉と平和を最重要の政策とし、大衆のための政治をアピールする。1973年以降、社公民を軸とする「反自民」の「中道革新連合政権構想」を提唱したが、1970年代後半に、地方の首長選では自公民の選挙協力を取るようになる。1974年には支持母体である創価学会が長らく対立を続けてきた「日本共産党」との間で相互不干渉を約束する、いわゆる「創共協定」を結ぶが、党内の反発が強くなり、1年ほどで死文化してしまう。以降は共産党に対する批判は続いている。
長らく中道路線を取ってきたが、1990年代には政策面で保守に近づき、自衛隊の海外派遣を認める「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(PKO法)制定に賛成して外交政策を転換した。
1993年には、38年間続いた自民党支配を打ち破った非自民の細川連立政権に参加し、結党以来初めて与党の側につき、郵政大臣、労働大臣、総務庁長官、環境庁長官などの国務大臣のポストを得る。 1995年の「宗教法人法」改正をめぐり、池田の参考人招致を決議しようとする自民党に対し、国会でピケを張り、座り込みなどの実力行使で阻止した。1999年からは単独で過半数を得ることが困難になった自民党(小渕内閣)の要請を受け、連立に参加(自自公政権)。その後も森内閣から麻生内閣に至るまで自民党と連立を組んでいた(自公保・自公連立政権)。
かねてから護憲の立場の「平和の党」、庶民の立場に立つ「福祉の党」を自称しアピールして来たが、少なくない障害者関係団体が反対する中で、障害者自立支援法や医療制度改革、自衛隊イラク派遣などを自民党と共に進めたことに対しては支持者の中にも批判の声がある。また、選挙期間における創価学会信者の熱心な選挙活動や投票依頼などもあり、「政教一致」問題に対しては依然として根強い批判がある。しかし、無党派層が増え、政党の支持基盤の弱まっている中で、支持母体である創価学会による安定した固定票を持つ公明党は、政権を左右するキャスティング・ボートを握っていると言われる。
2009年の総選挙では小選挙区において代表の太田昭宏を含む候補者8人全員が落選するなど大敗を喫し、自民党と合わせても過半数を大きく下回ったため、民主党を中心とする野党に政権を明け渡し下野。約10年間続いた自民党との連立政権に終止符が打たれた。
現在の党のキャッチコピーは「いちばん近くで、動く、働く。」である。