PHP総合研究所
PHPとはPeaceand Happiness through rosperity [繁栄によって平和と幸福を]という英語の頭文字をとったものです。
PHPグループでは、「物心ともに豊かな繁栄によって真の平和と幸福とを実現していきたい」という願いのもと、活動を展開しています。
〇設立
昭和21年11月3日
〇人員
377名(平成22年10月現在)
〇社長
松下正幸
〇PHPグループ
株式会社 PHP研究所
株式会社 PHPエディターズ・グループ
株式会社 PHPパブリッシング
PHPとは
PHPとはPeace and Happiness through Prosperityという英語の頭文字をとったもので、“繁栄によって平和と幸福を”という意味のことばです。これは、物心ともに豊かな真の繁栄を実現していくことによって、人びとの上に真の平和と幸福をもたらそうというPHPグループの願いを表わしたものですが、この願いはことさらに新しいものではないと思います。原始の昔から今日まで、お互い人類は、この繁栄、平和、幸福の実現を願って、変わるところなく努力してきているのではないでしようか。ただPHPというような名称をつけていなかっただけで、実質においては人びとの営みのすべてが、ことごとくPHP実現をめざすものであったといっても過言ではないと思います。その結果、人間は時代とともに大きな進歩発展を遂げてきたわけです。
したがって、今さら事改めてPHPなどといわなくてもよいではないかという見方もできると思います。けれども、人類がこれまでの歴史において大きな進歩を遂げてきたことは明白な事実であるとしても、その内容なり程度というものは、必ずしも最善ではなかったとも考えられます。もっとスムーズに、もっと合理的な形で、あるいはもっと物心両面の調和がとれた形で進歩発展することができたのではないでしょうか。そういうことが可能な立場、原則に立たされておりながら、そうと考えずにいわば不必要な損失、犠牲をくり返してきている1面があるのではないでしょうか。
私どもは、そういうことを根本から反省し、これからの人類の歩みの上に真の繁栄、平和、幸福というものを、より好ましい姿で実現していきたい、そういうところに人間としての長久な使命、人生の意義というものを認識し、その着実な実現の一翼を担っていきたい、と思うのです。ここにPHPグループの基本の願いがあります。
磨けば輝く人間の本質
お互い人間がこれまでの歴史において大きな進歩発展を遂げ、その生活の総合的な水準を1歩1歩高めてきたという事実は、いったい何を物語っているのでしょうか。それは結局、私たち人間には、他の動物とはちがってもともとそういう進歩発展を生む力、創造を可能ならしむる本質が備わっていたということではないでしょうか。
ダイヤモンドの原石は、見かけはふつうの石とそう変わらなくても、適正にカットし磨くことによって、宝石としての美しい光を放ちます。それはダイヤモンドには、もともと宝石たり得る、七色の光を放ち得る本質が与えられ、備わっているからです。
お互い人間についても、同じように考えられるのではないでしようか。人間がこれまでの歩みの中で進歩発展してきているのは、もともとそういうことをなし得る本質が人間に与えられ、備わっていたからです。
しかし、せっかくのダイヤモンドも、これを磨かなかったり、磨き方を誤るならば、本来の輝きを得ることはできません。人間についても同様で、人間が今日まで、一方で偉大な創造、発展を遂げつつも、同時に貧困、争い、種々の不安や不幸に陥ってきたのは、みずからの本質が、あたかもダイヤモンドのように磨けば輝くものであることに気づかなかったり、磨き方を誤っていたからではないでしょうか。
したがって、もし私たちが今後、お互い人間の本質は、磨けば輝くダイヤモンドのようなものという自覚をもっと高め、これを正しく磨く方法を求め実践していくならば、そこから人間のすぐれた本質がより多く発揮されてきて、これまでのような大きな犠牲を伴わずに進歩発展していく道が、よりスムーズにひらけてくるのではないでしょうか。
もとよりそうした道を見出すのは、そう簡単ではないと思います。またひとりの人間、ひとつの団体だけで発見できるというものでもないでしょう。しかし、お互い1人ひとりが、人間の持つすぐれた本質を正しく認識し、知恵を寄せあって、その本質に基づく社会のしくみや生活態度を生み出していくよう努めるならば、その道は必ず見出すことができると思うのです。
三つの基本姿勢
私どもは、PHPの活動を進めるにあたって、基本的に次の3つの姿勢、態度を大切にしていきたいと考えています。
その第1は、過去において私たちの先人たちが、人生や社会など、人間に関するあらゆる問題について積み重ねてきた思索と体験を、有効適切に生かしていきたいということです。
先人の方がたがこれまで重ねてきた活動の成果は、今日、社会生活のあらゆる面にあらわれています。科学技術の面はいうに及ばず、精神的な面においても、先人たちは一面実に偉大な進歩発展を生み出してきています。そうしたせっかくの労作、物心両面のすぐれた文化を私たち現代人が大切にせず、正しく活用しないということは、先人に対してまことに申しわけのないことです。またそれは私たちにとってきわめて大きな損失でもあります。ですからPHP実現のための活動を進めるにあたっては、過去の人びとの貴重な体験の成果をもっとも有効に受け入れ、その教えを正しく学びとっていくことに大いなる努力を注ぎたいと思うのです。
第2に大切にしたいのは、先人の方がたの成果に、お互い現代人の知恵を加え、新たな創造を生み出していくという姿勢です。
これは、現代にともに生きる学識経験者のすぐれた考えや尊い体験を受け入れ、あわせて一般社会の人びとがつくり出す世論をも活用していくということです。そういうものを何らかの形で先人の成果に加え、調和させていきたいと思います。
そして第3には、以上の2つの姿勢を基本としつつも、お互いに何物にもとらわれない素直な心で、人間の本性、本質を究め、いわゆる天地自然の理、真理というものを究めていきたいということです。
この3つの立場を大切にしつつ、PHP実現のためにお互いの日常生活にすぐ活用できる現実的な考え方や具体的方策を見出しあい、提言しあい、ともに実践に努めていきたいと思うのです。
素直な心
PHP活動に取り組むお互いの心がまえとして、私どもは“素直な心”というものをきわめて重視しています。それはいったいどのようなものでしょうか。
私たちには、とかく自分の損得や好き嫌い、あるいはこうしたい、ああしたいという欲望、意欲を中心にして物事を判断し、行動する傾向があります。いわば私心をもって考え、行動するということですが、これは私たちが人間としてさまざまな欲望や感情を本能的にもっていることから生じる1つの当然ともいえる姿です。そういうところに人間としての生きる喜びなり味わいを感ずることもできるのだ、とも考えられます。しかし、そのような私心に重きを置くあまり、それにとらわれて物事を判断し行動すると、物事のありのままの姿、真実が把握できず、その判断、行動は往々にして誤ったものになりがちです。つまり、何が正しいかという観点よりも、何が自分にとって好ましいかといったことが判断の基準になってしまって、その結果、物事のありのままの姿、真実というものを見誤ることが少なくないと思うのです。
ですから、私たちが物事の実相を正しくつかみ、誤りのない判断をしていくためには、やはりできるだけ私心をさり、何ものにもとらわれない心で物を見ていくことが大切です。自分の利害得失にとらわれず、主義主張にとらわれず、学問や知識や権力や地位にもとらわれない、くもりのない心、白いものはそのまま白く、黄色いものはそのまま黄色く見ることのできる心が大切で、それが私どもが重視している“素直な心”です。 お互いがそのような素直な心になれぱ、物事の実相を正しくつかむことができるようになりますから、ある事柄が正しいか正しくないか、それをするのが適切かどうかについての判断が、1つひとつ正確に下せるようになります。そうなれば、そこから、なすべきことをなし、まちがったことを排する勇気というものもおのずと湧いてくるでしょう。
それはまた、愛とか慈悲の心、寛容とか思いやりの心にも通じるものといえましょうし、水のように融通無碍で、どんな事態にも適切に対応できる臨機応変の姿を生み出す心でもあります。さらには、広く高い視野から物事を見ることができる見識を備えた心であるともいえます。
そのように素直な心は、物事の道理、真実を誤りなくつかむことのできる心であり、お互いが何をなすにあたっても欠かすことのできない大切な心です。もしお互いが、本当に完全に素直な心になることができるならば、すべてが自然の理法の通り、真理の通りに運び、何でもうまくいって失敗がないということになると思います。もちろん実際には、私たちが完全に素直な心になり切るということはきわめてむずかしく、したがって何をしても失敗がなくうまくいくといったことにはなかなかなりません。しかし、もし本当に素直な心になることができれぱ、人間はあたかも神のように、常に誤りなく生きていくことができると思います。そのように素直な心は、人を強く正しく聡明にするすぐれた働きをもっているわけで、私どもはPHP活動を進めるにあたって、この素直な心をともどもに養い高めあっていきたいと考えているのです。
PHP活動の歩みと展望
昭和21年。第二次世界大戦に敗れた直後の日本は、東京、大阪はじめ主要都市の大半を爆撃によって破壊され、人びとは家を失い、着るものもなく、その日の食料にも事欠くというきわめて困窮した状態にありました。
そうした中で占領軍の監督のもと復興再建の歩みが始まりましたが、それは順調には進展せず、世情はむしろ悪化の一途を辿っていました。当時の法律法令や仕組みには、社会の実情や人情の機微に即さないものも多く、そのために、まじめに働けば働くほど、まじめに物をつくればつくるほど損をする、正直者がバカを見る、法を犯さなくては生きていけないといった姿が、あちこちに見られました。
大正7年に松下電器を創業以来、27年間にわたり社長としてその経営に打ち込んできた松下幸之助は、戦後のそうした混乱、混迷の中で次のように考えたのです。
「自然界に生きる鳥や獣は山野を嬉々として飛びまわっている。それなのに、万物の霊長といわれるわれわれ人間が、なぜこれほど不幸に悩み、貧困に苦しまなければならないのか、これが人間本来の姿なのだろうか。いや、決してそうではあるまい。人間はもっともっと物心ともに豊かな繁栄のうちに、平和で幸福に生きることができるはずだ。現に人間だけが、太古の昔から今日に至る間に、精神的にも物質的にも驚くほどの進歩発展をなし遂げてきている。だから、必ずどこかに、繁栄、平和、幸福につながる道があるはずだ。それをなんとかして求めてみたい。」
このいわばやむにやまれぬ思いを世の人びとに訴え、PHP実現への道をともどもに考えあっていきたいと思い立った松下幸之助は、昭和21年11月3日、PHP研究所を創設し、自ら所長として活動の第1歩を踏み出したのです。
爾来今日まで、PHPグループの活動は、さまざまな曲折を経つつも、地道に着実に進められてきています。
昭和22年4月、PHP活動の機関誌として創刊された月刊誌『PHP』は、今日、日本全国に100万人の読者を持つまでになりました。当初はこの月刊誌だけであった出版活動も、出版活動も、数多くの雑誌、書籍などが刊行されるようになりました。昭和50年以降には、PHP友の会の活動やPHPゼミナール、PHPシンポジウムや世界を考える京都座会の活動も加わりました。そして現在創設者松下幸之助の遺志を引き継ぎ、約380名の社員が、よりよき2l世紀の日本と世界の実現をめざし、国内外の多くの方がたのご支援のもと、それぞれの活動に励んでいます。