衆議院議长(西岡武夫)

 

参議院議員
西岡 武夫 (ニシオカ タケオ) 

【出身】 長崎県 長崎市
【生年】 1936年   
【党派】民主

 【HP】 http://www.nishioka-takeo.com/
 【e-mail】 nishioka2424@ace.ocn.ne.jp

 西岡 武夫(にしおか たけお、1936年2月12日 - )は、長崎県長崎市出身の日本の政治家。参議院議員(2期)。参議院議長(28代)。
衆議院議員(11期)、文部大臣、新自由クラブ幹事長、自民党総務会長、新進党幹事長、自由党参議院議員会長、参議院議院運営委員長などを歴任。

経歴
出生
1936年(昭和11年)、長崎県長崎市に父・西岡竹次郎と、母・ハルの子として生まれる。海星中学校では同期に美輪明宏がいた。長崎県立長崎東高等学校を卒業後、早稲田大学教育学部に入学。雄弁会入会。早大在学中より、父・竹次郎が創刊した長崎民友新聞の経営に携わる。1958年に早稲田大学を卒業。1959年には長崎日日新聞社と合併し、長崎新聞社を発足。長崎新聞社では、常務取締役社長室長、論説委員などを歴任し、長崎青年会議所広報委員長、長崎県青年団連合会会長(初代)なども務め、長崎の若手経済人として活動する。

無所属出馬-自由民主党
1963年11月、衆議院議員を5期務めた父・竹次郎と、吉田茂が率いる自由党初の女性参議院議員として婦人参政権運動に尽力した母・ハルの地盤を引継いだ世襲候補として第30回衆議院議員総選挙に無所属で立候補。4位当選を果たし、自民党の追加公認を受ける。自民党青年局長、文教部会長をつとめていた。

新自由クラブ
ロッキード事件を期に、河野洋平、田川誠一、山口敏夫、小林正巳各衆議院議員、有田一寿参議院議員と共に自民党を離党。1976年6月25日に「保守政治の刷新」を掲げて新自由クラブを結成、西岡は幹事長に就任した。新自由クラブは、結成直後の第34回衆議院議員総選挙で、自民党に不満を持っていた保守層の受け皿になる形で、一挙に17人を当選させた(さらに追加公認1人)。しかし、政策、党の路線をめぐり、野党として革新にも配慮を示す河野や田川と、あくまで保守主義を念頭に置く西岡、山口らとの間に亀裂が生じ、1979年7月に西岡は単独で新自由クラブを離党した。1980年12月に自民党に復党したが、1983年12月の総選挙では落選する。

自由民主党-新進党
1986年の総選挙で返り咲き。宮澤派に所属し、文教族としてキャリアを積み、1988年、竹下改造内閣で文部大臣として初入閣。宇野内閣でも文相に留任した。1989年、海部俊樹内閣で消費税の見直しが求められ、自民党税制調査会長の山中貞則が辞任、後任の税制調査会長に就任する。1990年2月には早稲田大学雄弁会の先輩で文教族仲間の海部の強い意向で自民党総務会長に就任し、党三役入り。幹事長は竹下派の小沢一郎、政務調査会長は安倍派の加藤六月であった。のちに総裁の海部を含めた四人は自民党を離党し、新進党結党に至るが、この時期にその強い関係ができたと思われる。同年12月、党三役に加藤紘一を送り込みたい宮沢派は西岡に総務会長職の交代を求めるが、これを拒否したため、派閥から除名された。
海部内閣が総辞職した後、海部を会長とする政治改革推進協議会を自民党に結成。1993年の第40回衆議院議員総選挙では、自民党から立候補し当選するが、政治改革推進派として執行部批判を強め、梶山静六幹事長が党内の混乱を収拾するために「結束前進の会」を作ろうとしたときはこれを「屋上屋を架すもの」と批判した。結局、西岡は同年12月に自民党を再び離党。改革の会代表、自由改革連合事務局長を経て、翌1994年に新進党結党に参画し、海部党首実現に動く。国会対策委員長、幹事長を歴任。小沢一郎を補佐するが、1997年に新進党は解党した。

自由党-民主党(現在)
1998年1月、小沢、海部、加藤六月らと共に自由党を結成し、副党首に就任。同年2月、高田勇知事が引退を表明した長崎県知事選挙に党内の慎重意見を抑えて出馬するも、同じく新人の金子原二郎に敗れ落選する。国政復帰を目指し、2000年の第42回衆議院議員総選挙に自由党公認で出馬するが、落選。
2001年7月、第19回参議院議員通常選挙に自由党公認で比例区から出馬し、当選。国政復帰を果たした。党参議院議員会長、参院会派「国会改革連絡会(自由党・無所属の会)」代表をつとめる。2003年、民主党との合流が決定すると、当初不参加の姿勢を示した。しかし最終的には参加を決断し、参院会派「民主党・新緑風会」常任役員・顧問に就任した。2006年、皇位継承問題で、皇室典範改正に慎重な立場を明らかにし、党内の保守系議員を中心に「皇室典範改正を慎重に考える会」を結成し会長に就任した。党内では渡部恒三と共に保守派の重鎮であり、党内の保守系議員で構成される永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会にも参加し、外国人参政権反対を表明している。
2004年の年金未納問題の際には9年11か月間未納であったことが発覚した。

参議院議院運営委員長
2007年8月、議員歴が長く、国会対策に精通している点が評価され、参議院議院運営委員長に就任した。
同月9日、西岡は「次の国会からクールビズの申し合わせを廃棄し、本会議場、委員会室での議案審議に際してはネクタイ着用を義務化したい」と提案した。「制服を着用して国会見学する子どもがいるのに、議員がリラックスした格好をしているのはいかがなものか」と説明した(8月10日付の各全国紙)。これに対し、すでにクールビズが3年目になり広く浸透していること、参議院先例集にクールビズ以前の1951年8月から半世紀以上にわたり「ネクタイは外していい」という申し合わせが確認されていることなどから、与党のみならず、他野党や身内の民主党内からも批判が出て、この提案を撤回することとなった。
この突然の提案については、クールビズの旗振り役が小池百合子防衛大臣(当時、元環境大臣)であったことから、民主党参院国対幹部の見方として「新進党、自由党と行動をともにしながら、自民党に移った小池への意趣返し」ではないかといった見解も報道されている。
2009年10月23日、岡田克也外務大臣が閣議の席で、国会開会式での天皇の「お言葉」について「陛下の思いが少しは入った言葉がいただけるような工夫を考えて欲しい」と宮内庁に求めたのに対し、「天皇陛下の政治的中立を考えれば、お言葉のスタイルについて軽々に言うべきではない。極めて不適切だ」と批判した。
2009年11月17日の記者会見で、2008年3月に武藤敏郎元財務次官を日銀総裁に起用する国会同意人事案に反対したことについて当時の自公政権と対決するのが主眼であったと説明し、「財金分離を理由に不同意としたのは、今でもおかしいと思っている」と語った[1]。翌18日に江利川毅前厚生労働次官を人事院人事官に起用する政権の方針が脱官僚に矛盾すると批判を浴びていることから、過去の過ちを率直に認めることで、江利川人事案に理解を求める狙いがあったとされた。
2010年6月16日、国会最終日で野党が提出していた江田五月議長不信任案、菅直人内閣総理大臣問責決議案、荒井国務大臣問責決議案について、与党民主党の意向を受けて委員長職権で本会議を流会とし、国会最終日に参議院本会議が開かれない異例の事態となった。

参議院議長
2010年7月の第22回参議院議員通常選挙で民主党が大敗し、民主党は参議院で過半数を割り込んだ。しかしなお参議院第一党であり帝国議会以来の慣行では議長を出すこととなっている民主党は西岡を議長に推すものの、前国会での民主党や西岡の国会運営に反発する自民党執行部とみんなの党は自民党からの議長選出を主張する。しかし他の野党や自民党の一部が同調しなかったため両党は野党議長を断念。西岡を江田五月の後任の参議院議長とする流れが固まり、自民党は副議長候補を出すこととなった。西岡は21日に議運委員長として理事会で国会運営について野党に謝罪した。
しかし、通例では全会一致で決まる議長選挙では西岡は過半数の139票を獲得したものの、白票88票、江口克彦(みんなの党)が11票、尾辻秀久(自由民主党、副議長に就任)が1票と異例の投票結果で、参議院議長に就任した。
なお、参議院議長就任に伴い離任した参議院議院運営委員長の後任には、自民党の鈴木政二元内閣官房副長官が就任した。民主党は参議院では第一党ではあるものの数の上では与党過半数割れのねじれ国会のため、今後は難しい議会運営が求められる。

年譜
1963年11月21日第30回衆議院議員総選挙(旧・長崎1区)に無所属で出馬し、4位で当選。
1993年7月18日第40回衆議院議員総選挙に自民党から出馬し、初のトップ当選を果たして再選。
1996年10月20日第41回衆議院議員総選挙(長崎1区)には新進党から出馬し、11回目の当選を果たす。
1997年12月27日新進党解党。
1998年1月 小沢一郎に従い自由党の結党に参加し、小沢党首の下で副党首に就任。
2月 衆議院議員を辞職し長崎県知事選挙に出馬するが、金子原二郎に敗れ落選。
2000年6月25日国政復帰のため第42回衆議院議員総選挙に自由党から出馬するが、落選。
2001年7月29日第19回参議院議員通常選挙に自由党公認で比例区から出馬し、参議院で初当選。
2003年9月27日自由党の解党に伴い、民主党に合流する。
2007年7月29日第21回参議院議員通常選挙に民主党公認で比例区から出馬し、再選。
2007年8月7日 市川一朗に代わり参議院議院運営委員長に就任。
2010年7月30日江田五月に代わり参議院議長に就任。

 

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