閣僚経験 |
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第3次
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吉田 茂
前半/後半
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大蔵大臣
通産大臣 |
1949年 2月16日・就任
1950年 6月 4日・第2回参院選
1950年 6月28日・内閣改造
1950年2月17日、民主自由党の民主党吸収工作を不満として稲葉平太郎通産相が辞任。池田勇人蔵相が同年4月1日に高瀬荘太郎文相が兼任するまでの間、兼任。 |
第3次
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吉田 茂
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改造Ⅰ
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大蔵大臣 |
1950年 6月28日・内閣改造
1951年 7月 4日・内閣改造 |
第3次
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吉田 茂
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改造Ⅱ
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大蔵大臣 |
1951年 7月 4日・内閣改造
1951年12月26日・内閣改造 |
第3次
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吉田 茂
前半/後半
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改造Ⅲ
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大蔵大臣 |
1951年12月26日・内閣改造
1952年 8月28日・衆院解散
1952年10月 1日・第26回総選挙
1952年10月30日・交代
衆院解散=抜き打ち解散 |
第4次
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吉田 茂
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通商産業大臣
経済審議庁長官 |
1952年10月30日・就任
1953年 3月14日・衆院解散
1953年 4月19日・第26回総選挙
1953年 4月24日・第3回参院選
1953年 5月21日・交代
衆院解散=バカヤロー解散
1952年11月29日、池田通産相の中小企業についての失言をめぐり、池田通産相不信任決議案が提出される。決議案の採決時に自由党内の『民主化同盟』から25名が欠席。決議案は可決され、池田通産相は辞任。 |
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石橋 湛山
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大蔵大臣 |
1956年12月23日・就任
1957年 1月31日・岸信介臨代
1957年 2月25日・交代
岸信介臨代=石橋首相が病気療養の為。
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第1次
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岸 信介
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大蔵大臣 |
1957年 2月25日・就任
1957年 7月10日・内閣改造
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第2次
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岸 信介
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国務大臣 |
1958年 6月12日・就任
1959年 6月 2日・第5回参院選
1959年 6月18日・内閣改造
警察官職務執行法問題で岸首相の責任を追及していた反主流派3閣僚(池田勇人国務相・三木武夫経企庁長官・灘尾弘吉文相)が1959年12月31日、辞任。
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第2次
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岸 信介
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改造
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通商産業大臣 |
1959年 6月18日・内閣改造
1960年 6月19日・新安保自動承認
1960年 7月19日・交代 |
第1次
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池田 勇人
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内閣総理大臣 |
1960年 7月19日・就任
1960年11月20日・第29回総選挙
1960年12月 8日・交代 |
第2次
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池田 勇人
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内閣総理大臣 |
1960年12月 8日・就任
1961年 7月18日・内閣改造 |
第2次
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池田 勇人
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改造
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内閣総理大臣
経済企画庁長官 |
1961年 7月18日・内閣改造
1962年 7月14日・自民党総裁公選
1962年 7月18日・内閣改造
1962年7月6日、藤山愛一郎経企庁長官が自民党総裁公選に立候補の為、辞任。池田首相が事務取扱。 |
第2次
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池田 勇人
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改造Ⅱ
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内閣総理大臣 |
1962年 7月18日・内閣改造
1963年 7月18日・内閣改造 |
第2次
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池田 勇人
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改造Ⅲ
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内閣総理大臣 |
1963年 7月18日・内閣改造
1963年11月21日・第30回総選挙
1963年12月 9日・交代 |
第3次
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池田 勇人
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内閣総理大臣
北海道開発庁長官
科学技術庁長官 |
1963年12月 9日・就任
1964年 7月10日・自民党総裁公選
1964年 7月18日・内閣改造
内閣改造=第2次改造Ⅲの全閣僚が留任。
1964年6月29日、佐藤榮作北開庁長管(兼科技庁長官)が自民党総裁公選立候補の為、辞任。池田首相が事務取扱。 |
第3次
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池田 勇人
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改造
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内閣総理大臣 |
1964年 7月18日・内閣改造
1964年10月10日・東京五輪開幕
1964年10月25日・辞意表明
1964年11月 9日・交代
辞意表明=病気療養の為、辞意表明。 |