橋本龍太郎 はしもとりゅうたろう
生年月日 | 昭和12年7月29日(60歳) |
出身 | 岡山県総社市 |
衆議院議員 | (岡山四区 当選12回) |
- 経歴
- 慶応大学法学部政治学科卒業後、呉羽紡績(株)でのサラリーマン生活を経て、昭和38年、25歳で衆議院最年少議員として初当選。昭和53年、41歳で大平内閣の厚生大臣として初入閣。その後、党行財政調査会長(昭和59年)、運輸大臣(昭和61年)、党幹事長(平成元年)、大蔵大臣(平成元年)を歴任。自民党が下野した平成5年には党政調会長に就任。平成6年村山連立内閣の下で通産大臣として再入閣。平成7年9月に自民党総裁に選出され、閣内では副総理も兼任。平成8年1月、内閣総理大臣に就任。
- 政歴
- 昭和38年11月、衆議院議員初当選(第30回,岡山2区) (以後40回まで11回当選)
昭45.1 厚生政務次官(~昭46.7)
46.12 衆議院社会労働委員長(~昭53.1)
53.12 厚生大臣(~昭54.11)
59.11 自民党政調行財政調査会長(~昭61.7)
61.7 運輸大臣(~昭62.11)
62.11 自民党幹事長代理(~平元.8)
平元.6 自民党幹事長(~平元.8)
元.8 大蔵大臣(~平3.10(2期))
5.8 自民党政務調査会長(~平6.6)
6.6 通商産業大臣(~平8.1)
7.9 自民党総裁
7.10 副総理(~平8.1)
8.1 内閣総理大臣
プロフィール
岸内閣で厚生大臣、文部大臣を勤めた故橋本龍伍氏は実父。「政治は弱者のためにある」という亡父の政治信念を守り、党社会部長、衆院社会労働委員長を勤めるなど一貫して社会福祉行政に取り組む。大平内閣で厚相として入閣し、「親子二代の厚相」としてマスコミにも取り上げられた。厚相時代はスモン訴訟の和解などに尽力した。
また、党行財政調査会長として鈴木行革の最前線で活躍。運輸相時代は国鉄の民営化に取り組み、若いながら其の手腕は高く評価された。
蔵相時代には、湾岸戦争に直面し、総額130億ドルの我が国の国際貢献策のとりまとめに奔走。通産相時代には、欧州、アジアを始めとする各国との経済関係の強化に努力、また、日米自動車・同部品交渉をまとめたことは記憶に新しい。
- 信条
- 「初心忘るべからず」が座右の銘。
- 趣味
- 剣道(錬士5段)、写真(プロ級の腕前)、登山。登山はエベレスト登山隊の総指揮をとったこともある。
- 家族
- 母 正 (大正3年4月30日生、日本ユニセフ協会専務理事)
妻 久美子(昭和16年11月27日生、聖心女子大学文学部卒)
長女 寛子 (昭和42年8月15日生)
長男 龍 (昭和44年3月8日生)
二女 厚子 (昭和46年9月12日生)
二男 岳 (昭和49年2月5日生)
三女 旦子(昭和57年5月4日生) - 身長
- 165cm
- 体重
- 66kg
- 血液型
- AB型